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 2006年4月2007年3月まで、月刊「邦楽ジャーナル」に連載された
「文楽人が語る私の一作」の誌面が拡大、読んでいただけるようになり
ました(クリックしてください)。
お聞きしたい技芸員さんをご推薦ください。
清治さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(2006年4月号)に、三味線の鶴澤清治さんが登場されました。清治さんが、「一の糸」(有吉佐和子作)のモデルといわれる四世鶴澤清六のお弟子さんだったことを、うかつにも初めて知りました。遠くから(舞台)拝見していますと温和なお顔に見えますが、とてもエネルギッシュでストレートな方で、かつ文楽の将来をきちんと見据えていらっしゃいます。

燕三さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年5月号)に、4月に襲名披露されたばかりの燕三さんが登場。若い若いと思っていましたら、いつのまにか力をつけて聴かせる三味線弾きになっていました。襲名半年前、つい正直に「そろそろ燕三さんを襲名されるころですね」とお声をかけさせていただいたところ、「まだ、内緒にしていてくださいね」といわれ、タイミングのよさにまたびっくり。お話をとおして、師匠を慕っていらっしゃる心が伝わってきました。


英大夫さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年6月号)に、英大夫さんが登場。「喜八郎快生物語」をはじめ、浄瑠璃の新作物を手がけている英さん。小説家志望で、シュールな小説がお好きだったとか。ところが、文楽に接して、シュールさに圧倒されたそうです。たしかに、「寺子屋」のいろは送りなど、若君の身代わりに息子の首を差し出し、悲しみにくれる母親が踊っています。それでも、観客は涙なしには聴けません。英さんのご指摘に、なるほどと納得です。

  
勘十郎さんが語る「私の一作」
  「邦楽ジャーナル」(同年7月号)に、勘十郎さんが登場。父上である二世勘十郎の「もう一度団七を遣りたい」という願いに応えて、団七の体に、心を込めて入墨を書き上げた(現在も使われています)のが現勘十郎さんでした。NHKの撮影(和田勉演出)が、二世勘十郎の最後の団七姿だったそうです。このとき勘十郎さんは「足をやらせてもらいました」。いいお話に涙が出てきそうでした。

錦糸さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年8月号)に錦糸さんが登場。 「合邦」といえば、2000年、住大夫さんの病気復帰公演(和楽舎の前身である住大夫の素浄瑠璃の会主催)の折、錦糸さんの三味線で語られた素浄瑠璃が「合邦」でした。弊社発行の第一弾のCDも「合邦」でした。もちろん、三味線は錦糸さんです。「合邦」には、錦糸さんに負けず劣らず、いろいろな思い出がありますが、何度お聴きしてもいいですね。

文字久さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年9月号)文字久さんが、12月若手公演で好評だった「熊谷陣屋」を紹介してくださいました。師匠が常日ごろおっしゃっている「『イキは引きにいったらあかん、引けるような浄瑠璃を語らないかん』の意味が少し理解できた」そうです。 お若いとお若いと思っていた文字久さんも、いつのまにか中堅どころ。これから核になる大夫さん。「文字久、開花」を願っています。

玉女さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年10月号)で、「少しでも師匠に近づけるようがんばりたいですね」と締めくくってくださった玉女さん。「舞台はご無理でも、稽古のときに、ちょっとでも見えてご指導いただけると、ありがたいのですが」の希望もかなわず、玉男師匠がお亡くなりになりました。玉男さんの後を継いでいただきたく、ますますのご精進を期待いたします。

宗助さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年11月号)に宗助さんが登場。とてもシャイな方で、「話下手だから」、「まだまだです」とおっしゃり、そのたびにお断りされ、三度目のアタックで、ようやくお聞きできました。とてもしっかりした方で、三味線さんたちで浄瑠璃を語る会(ふく聚会)を結成して、大夫から見た三味線弾きの立場を勉強したり、意欲的に活躍されていることを知りました。これからも積極的にさまざまな取材にご協力されるよう、お願いした次第です。

清二郎さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(同年12月号)に清二郎さんが登場。いさ鶴澤藤蔵が祖父、父親がが現綱大夫さんと、文楽一家に育った清二郎さん。綱大夫さんの三味線を弾かせていただくようになって十年になるそうですが、清二郎さんの三味線に「いいなあ」と耳を傾けたのは、2、3年前ごろからでしょうか。「切場を勤めさせていただくプレッシャー」は、想像以上に大変だったようですが、今はすっかり落ち着いて見えます。若手が変貌していく姿はすがすがしく、観客の楽しみでもあります。

呂勢さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(2007年1月号)に呂勢さんが登場。小学校で人形、三味線、中学2年で重造師匠の預かり弟子(そのころ師匠は高齢を理由に弟子を断っていましたが、呂勢さんは弟子入りできたそう)となり、最終的に大夫を選んだ呂勢さん。朝は5時から夜の12時まで、働きづくめの厳しい環境の下で精進してきた経験談を、重造師匠から直接お聞きしたそうで、そのころの大夫が30代、40代から活躍できたのは、「お稽古量が現代とまったく違ったこともあるのでしょう」と、歯がゆさを感じているようでした。

清志郎さんが語る「私の一作」
 「邦楽ジャーナル」(2007年2月号)に清志郎さんが登場。師匠である鶴澤清治さんを、尊敬してらしゃるなあと、熱く伝わってきたのが印象的な、清志郎さんでした。何しろ、「師匠の隣で、三味線を弾くのがいちばん楽しい」というのですから、師匠冥利に尽きます。若さが強調されていたころに比べ、落ち着いて三味線の精進ができるよう、自ら環境を整えている清志郎さん。さらなる飛躍が期待されます。

咲甫さんが語る「私の一作」
 三味線の鶴澤清治さんを初回に、大夫、三味線、人形遣いの中堅、若手の技芸員さんが語る「邦楽ジャーナル」「私の一作」も、3月号(2007年)が最終回。咲甫さんが『菅原伝授手習鑑 寺子屋』を通して、咲大夫師匠の愛のムチに見事に応えながら、目覚めていくきっかけを、情熱的に語ってくださいました。
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